「めぐみは何をお願いしたの?」
初詣の帰り道。他愛のない会話の合間、千種が問いかける。
「まあ、事故と怪我だけはないようにってね。」
実のところ、あたしは何も願い事なんかしていない。横で千種が熱心に手を合わせていたから、仕方なく合わせていただけだ。
「ふうん。何か目標とかはないの?」
「それは自分の力で叶えるもの。神様や他人にお願いすることじゃないわ。」
そう、あたしは神頼みなんてしたことがない。結局、最後は自分の力だけが頼りなのだから。
「あはは、めぐみらしいね。」
苦笑いを浮かべる千種。
「…そういう千種は何をお願いしたの?」
「わたし?わたしはねえ…みんなの無病息災と、お客さんがたくさん来てくれることと、野球でヒットがたくさん打てるようにと、それからそれから…。」
千種の願い事が延々と続く。たしかお賽銭は100円しか入れてないはずだけど、こんなにたくさん叶うものなのかな。
「千種らしいね。」
さっきの仕返しとばかりにあたしはつぶやく。
「…最後に一番大事なお願い。」
千種の足が止まる。ほわんとした表情が消え、レスラーのそれに変わる。
「今年は祐希子さんのベルトに挑戦したい。」
この目だ。あたしの最も恐れる、千種のまっすぐで折れない心。
あたしはこれまで、他人など気にも留めなかった。
中学時代の高飛びにしても、目標を定め努力し、より高く飛ぶことだけを考え、他の選手なんか眼中になかった。
プロレスはさすがに高飛びとは違った。動かないバーと違って相手は生きた人間。易々とは乗り越えられない。ましてや、客の反応も考えなくてはならない。大変ではあるが、強くなる実感は陸上の比ではない。
しかし、あたしが一つ壁を越えると必ず横には千種がいるのだ。
一見穏やかで、闘争心など欠片も見せない容姿の奥にとんでもない力強さを彼女は持っている。
根性。そう呼ぶべき千種の力は、あたしに欠けているものだ。良くも悪くもあたしは勝利への執着心が薄い。たとえ負けても次の勝負に生かせばいい。それ位にしか考えていない。だが、千種はどんな試合であれ最後まで勝負を捨てたりはしない。そして、昨日より今日、今日より明日と日々千種は強くなっている…。
「めぐみは去年、祐希子さんとシングルで当たってあと少しまで追い込んでいた。きっと今年はタイトルマッチが組まれるよね。だけど、わたしだって…。」
千種の言葉が熱を帯びる。
確かに、去年はリーグ戦で祐希子さんと同組となり、シングルで戦った。初めての挑戦でムーンサルトまで出させたあたしの善戦と、マスコミでは言われている。だけど、実際はすべて祐希子さんの手のひらで踊らされていただけ。ムーンサルトでフォールしたのは、あたしを認めたというよりも自分との距離を見せ付けたに過ぎない。
だけど、千種なら?
千種は別組で予選落ちしたため、祐希子さんとは戦っていない。しかし、南さんを倒して実績を残した。南さんの関節技を耐え切った末での勝利は、今のあたしにはできない勝ち方だ。
最後まであきらめずに食らいつく千種なら、祐希子さんの本気を引き出し、もしかしたら…。
ぶるっと背中が震える。それは寒さのせいではなく、千種への恐怖だった。
「千種だって南さんに勝ったんだもの、タイトルマッチを組んでもらえる可能性はあるわ。…でも、こればっかりは譲るわけにはいかない。」
精一杯の強がりであたしは答える。
「ふふっ。めぐみのその言葉が聞きたかったの。」
と、千種が普段のおっとりした笑顔を見せる。
「わたしたち、新年の目標は一緒。神様はどちらのお願いを聞いてくれるのかなあ。」
「あたしはお願いなんかしてないわよ。」
ふい、とあたしは横を向く。
「じゃあ、神様はわたしの味方かあ。」
「100円ぽっちじゃ無理でしょ。」
軽口を叩きあうあたしたち。もう、いつもの調子だ。
「なんだかお腹がすいちゃったね。めぐみ、何か食べてから帰ろ。」
千種があたしの手を握る。
「うん、賛成。」
あたしはその手を握り返す。
あたしをこの世界へ導いてくれた千種。
頑張ろう。彼女に置いていかれないように。
千種に負けないように。
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