「今日はお疲れ様。」
「ああ、サンキュー。」
パンサー理沙子の酌で、六角葉月はとっておきの日本酒を飲む。
「はあ~、今日の酒は一段とうまいな。」
南利美との濃密な試合を終えて飲む酒は、六角を心身ともに満たしていった。
「で、何て言ってた?」
六角は理沙子に尋ねる。もちろん今日の試合のこと、それに南の処遇である。そのことを確認するために、理沙子を自分の部屋に呼んだのだ。
「かなり怒ってたけど、盛り上がったから今回はお咎めなし。」
社長の言葉を理沙子は伝える。
「そうかい、そりゃ良かった。」
「ただし、今度やるときは宣伝するから事前に言うように、ですって。現金なものね。」
「まあ、興行のネタが一つ増えたってことか。」
コップを一気に空けると、ふうと息を吐く。
「でもさ、次にやるときには、あんな試合にはならないと思うな。少なくとも客の前では。」
「?」
「あのコもプロレスラーだからさ。」
六角の答えに、理沙子はなるほどとうなずく。
「随分と気に入ったようね、利美のこと。」
「これだけ好きなことができた試合なんて初めてだよ。この年齢(とし)にして初体験。」
いやらしく笑ってみせる六角。
「きっと、あのコにとっても初めてだったんだろうさ。すんごいエロい表情(かお)してたもん。はははっ!」
だけど…、と六角の表情が曇る。
「あたしじゃ、そう長くは相手できない。今日の試合だって実質負けてたからな。」
「私の気持ち、少しは分かった?」
六角の手を取り、理沙子が微笑む。
待ち焦がれていたはずの次世代を担う選手。しかし、ライバルとしてぶつかる時間はあまりにも短い。
結局、彼女たちにとって自分は乗り越えるべき壁に過ぎないのだ。
「ま、あたしは理沙子と違ってチャンピオンになったことがないから分からないけど、確かに少し寂しいかな。」
「今からでも狙ってみたら?チャンピオン。お客さんも言ってたじゃない。」
「よせやい、ガラじゃねえ。」
めずらしく理沙子がからかう。どうやら今日は勝手が悪い。ゴホンと咳払いを一つ。
「とにかく、あのコには注意したほうがいい。南利美はスリル中毒だ。それでいて思いつめる厄介なタイプだ。適当にガス抜きさせてあげな。」
「そうね、定期的に強敵とぶつけてあげるのがいいかも。あ、異種格闘技戦なんて利美向きかも。」
六角の提案に理沙子が答える。と、時計が視界に入った。
「もうこんな時間ね。葉月、お酒はほどほどにね。」
「ああ、理沙子も気をつけて帰りな。」
パタンと扉の閉まる音。いつも通りの1人きりの時間。だが、今夜は妙に落ち着かない。
「あの試合のせいだな。」
昂ぶりが未だ体に残る。いつもなら酒が静めてくれるが、今回はそうはいかない。
試合への満足感がアルコールを上回っているのだ。
「こんな気分、レスリングを始めたとき以来だ。」
ごろんと仰向けになり、天井を眺める。
プロレス界に入ってからというもの、常に「用心棒」として誰かの、何かのために戦ってきた。
いや…。
「理沙子と今日子は違ったな。」
パンサー理沙子とブレード上原の壁として戦っていた新人時代。あれは自分のための戦いでもあった。もう少し季節が過ぎれば「ライバル」を手にすることができたのかもしれない。
「…済んだことだ…。」
自分の道に後悔はない。六角は振り返るのをやめた。
「何も考えず、自分の全力で戦う。こんな当たり前のことを、今になってなあ。」
何度目だろうか、今日の試合を思い返し、苦笑いを浮かべる。
「もう若くないってのに、こんな試合させやがって。」
正直、自分が第一線で戦える時間は残り少ない。そんな自分がようやく手に入れた、すべてをぶつけられる相手。
「これは、あんたのプレゼントなのかい?じじい。」
だったら、ありがたく頂こう。
心地よい満足感と疲労感に包まれて六角は目を閉じる。
もう合うことのない老人が、おかしそうに笑ったような気がした。