おおおおお…。
試合終了のゴングとともに、緊張感から解き放たれた会場中からため息が漏れる。
「終わっちゃった…。」
放心状態で六角の勝ち名乗りを眺めている南。だが、リングを降りようとする六角の姿に我に返る。
「六角さん!」
呼び止められて、六角は振り返る。
「今日は…申し訳ありませんでした。」
頭を下げる南にニコリと笑顔で答える六角。会場に安堵感が漂い始めた瞬間。
パシィィィーーーーーーン!!
六角の右手が思い切り南の頬を打った。
再び緊張が走る。
「これは、いきなりこんな試合を仕掛けた制裁。分かる?」
「はい…。」
厳しい表情の六角に、南はうなずくしかなかった。
一転、六角は優しく南の頭をなでる。
「よし、罰はこれで終わり。あたしに喧嘩売るだけあって強かったよ、あんた。」
「…あ、ありがとうございます…。」
「今日は裏技使って勝たせてもらったけど、関節だけの勝負ならあんたの勝ちだった。」
事実、南の脇固めは完全に決まっていたはずだった。あのわき腹の痛みさえなければ。
「裏技…?もしかして…。」
まだ痛むわき腹を抑えながら、南がたずねる。と、六角が親指を立てた右手を差出す。
「そ、最後の脇固めのとき、勝ったと思って一瞬間が空いたでしょ。その時にコイツでブスッと、ね。」
確かに。勝利を確信した瞬間、いつもより体重を乗せる時間が空いたかもしれない。でもそれは、ほんのコンマ何秒の世界だ。
「完全に極められているのに、そんな隙を逃さないなんて…。」
「まあ、イロイロとヤバい橋を渡ってきたからね。慣れてるんだよ、このくらいのことは。」
肩をすくめて笑う六角。この人はどんな世界を見てきたのだろう…。南の疑問をよそに、今度はいたずらっぽい表情を六角は見せる。
「でも、わき腹でよかったよ。技の体勢によっては尻の穴に刺す場合もあるからな。今のあんたにそんなことして、目覚めちゃっても困るからな。」
「…何に、目覚めるんですか…?」
顔を赤くして南が抗議する。へえ、クールなだけかと思ったら、こんな顔もするんだねえ。妙なところで六角は感心した。
「今度は事前に禁酒しておくから、またやろう。」
「はい、お願いします。」
がっちりと握手を交わす2人に会場が一斉に沸く。
「2人ともシビれたぞー!」
「南ー!本当に勝ったのはお前だー!」
「さすが、新・関節のヴィーナスだ!」
「強えじゃねえか、六角ー!」
「六角ー!こんだけできるなら、本気でテッペン狙ってみろー!」
観客からの熱狂的なコールを南はポカンと眺める。
「こんな試合を仕掛けたのに…。」
普段の試合でも、自分がこれだけのコールを受けることはない。横に目を向けると、六角が満足そうに会場を見つめている。
「そうか…。」
六角の手を両手で握り、南は深々と頭を下げる。
「本当に…ありがとうございました…。」
南は理解した。なぜ、裏技を使ってまで六角が勝ちを狙ったのか。あえて脇固めで勝利したのか。
先輩レスラーに真剣勝負を仕掛けたあげく、勝って故障させようものなら、南は業界追放ものの処分を受けるか、本当に潰されていただろう。
六角が勝つにせよ、必殺技のラビリンススリーパーで絞め落とそうものなら、天狗になった後輩への制裁マッチとなり、結局後味の悪いものとなる。
同じ技で勝利したのなら、純粋に六角の技術が上回ったことになる。裏技はキャリアの差とでも言っておけば済む問題だ。
結果、南は技術の高さを見せると同時に、隠れた実力者である六角の技術をも表に引き出した。六角もまた、新世代軍に負けないどころかベルトを狙えるだけの実力を観客に見せ付けた。2人にとって最高の結果となった。
「まあ、プロレスラーだからな。」
もう一度南の頭を撫でると、リングを降りるべくコーナーへ向かう。
「今日はいい酒が飲めそうだ。どうだい、付き合うか?」
南は首を横に振る。
「そうか、コレか?」
バイクを運転する仕草で六角が訪ねる。
「いいえ…。今日は試合の余韻に浸りたい…。」
「…エッチなことするんじゃないぞ。」
「しません!」
はは、と笑ってリングを去る六角。
その背中にもう一度頭を下げると、南もリングを降りる。
「今度は必ず勝ちます。技術だけでなく、プロレスラーとしても。」
六角葉月と南利美。2人を称える拍手はいつまでも鳴り止まなかった。