市ヶ谷軍の控え室。
「あなたらしくないわね。花を持たせるような真似なんかして。」
南の問いに、市ヶ谷がふふんと鼻で笑う。
「あの猪女のことかしら?あれはほんの戯れ。おかげで祐希子の泣き顔も拝めたことですし、楽しいシリーズでしたわ。それに…。」
「それに?」
「今日の試合は色々と参考になりましたもの。予想外の収穫ですわ。」
嬉しそうに微笑む市ヶ谷。
「確かに…。」
祐希子の腰を責めるという発想は今までになかったパターンだ。ふむと、南の目が勝負師のそれになる。その姿を、市ヶ谷が珍しそうに眺める。
「何?」
「あなたもベルトに興味を持ったのかしら?」
「…そうね。」
市ヶ谷の意地悪な質問に、南は素直に答える。
あれだけの試合を間近で見て、何も感じない訳がない。
「あの熱さを感じることができるのかしら。私でも…。」
「さあ、私には日常のことですから。日陰者のあなたでは、干からびてしまうかもしれませんわよ。」
失礼な物言いだが、いつものことだ。それに、あながち的外れな指摘でもない。今の自分にタイトルマッチは正直まぶしすぎる。
「挑戦したいのでしたら、私がチャンピオンになった最初の防衛戦に指名して差し上げますわ。」
すでにベルトを奪った気でいる市ヶ谷だが、南は首を横に振る。
「いいえ、私は私のやり方でいくわ。それに、次に祐希子と戦うのはあなたって決まったわけじゃないでしょ。」
「あら、私から挑戦権を奪うつもりかしら?」
「…必要なら。」
南は言い残し、控え室を出る。残された市ヶ谷はおかしさの余り、声に出して笑ってしまう。
「ようやく欲を出しましたか、南さん。ホホホ、面白くなってきましたわ。」
「雨降って地固まる、ね。」
「うん。」
技とスピードの祐希子、パワーの来島。親友であり、ライバルである二人の試合は予想以上に激しく、観戦していた武藤めぐみと結城千種はいまだ興奮の余韻に浸っていた。祐希子と来島と同様の立場にいる二人には、特に思うところがあるのだろう。
「次はわたし私たちだね。」
「うん。」
「わたしたちで、祐希子さんへの挑戦権を賭けて戦うの。」
「うん。」
「…負けないからね。」
「…うん。私も…負けない…。」
さて、一足先に着替えた来島。左腕は大事をとってギブスで固定されている。
「お待たせー!」
更衣室から出てきた祐希子の姿はさらに痛々しい。首と、外からは見えないが腰にもコルセットが装着されている。
「なあ、本当にこのカッコでカレー食いに行くのか?」
「もっちろん!今日はカレーパーティーだよ。」
祐希子は来島の右腕にしがみつく。
「しょうがねえ。おい菊池、若いの連れて先に行っててくれ。」
しかし菊池はふるふると首を振る。
「今日はお二人だけで行ってください。」
げっ、来島の顔が引きつる。
「何でだよ!」
「来島さんのいない間、私たち祐希子さんのやけカレーに散々つき合わされたんですよ。今日はその責任をとってくださいね。」
「そうよ~。恵理がいない間、寂しくてカレーも喉を通らなかったんだから。さ、行くよ!」
けが人と思えない力で来島を引っ張る。
「待て!言ってる事が違うぞ!おい、こら!」
結局、二人でカレー屋に向かうこととなった。
「今日はついて行かないのね。」
見送る菊池に理沙子が声を掛ける。
「いくら私でもそのくらいの空気は読めます。今日は水入らずで楽しんでもらいます。」
菊池は寂しそうにうつむく。
「今日、思い知りました。祐希子さんに見てもらうためには、後ろをくっついているだけじゃダメだって。必死で追いかけて、追い越すぐらいに強くならないといけないって。」
ぐっと拳を握る。
「ジュニアの私にどこまでできるか分かりませんけど、せめて祐希子さんに振り向いてもらえるようになりたい。…できるでしょうか、私に。」
「確かに厳しい道のりだけど、あなたなりのプロレスを極めていけばいいんじゃないかしら?もしよければ、IWWFにジュニアヘビーのタイトルマッチを申し込んでみるけど、どう?」
「はい、お願いします!」
菊池は迷わず答えた。ジュニアとはいえ、同じIWWFのベルトを奪えば発言権も生まれる。そうすれば道は開けるかもしれない。
「この子が祐希子に対して、こんな顔するなんてね。」
決意に満ちた菊池を見て、理沙子は満足げにうなずく。
来島の反乱は、予想以上に効果を生んだようである。
当の本人たちと言えば…。
「痛っ!喉痛っ!!飲み込むのがキツッ!」
「あったりまえだろ!俺のラリアート喰らって、まともにカレーなんか食えるもんか!」
「いいや、食う!ここで食えなかったら、恵理に負けるよりも悔しい!」
「俺はカレー以下かよ!!」
…周囲の思いをよそに、チャンピオンはマイペースだった。
「本当、キツかったよ、今日の試合…。」
「そうか、俺も初めて知ったよ。シングルのタイトルマッチがこんなにきついなんてな。」
「でも、今日は楽しかった。恵理とベルトを賭けて戦えて。」
「俺も楽しかった。負けて言うのも何だけど、最高だった。」
「また、やろうね。」
「そうだな。またやりたいな。」
「で、負けた方がカレーをおごるの。」
「…それは、勘弁してくれ…。」