お昼の劇場「女豹の蜜」最終回
リング中央に対峙した理沙子と今日子は、ゆっくりとロックアップの体勢に入る。
何年も恋焦がれた今日子の肌の感触に、理沙子の瞳が潤む。
「……!?」
しかし、感慨に耽る間もなく理沙子の腕関節が捻り上げられる。慌てて切り返すと、今度は今日子の腕を取る。スタンドでの腕の取り合い。基本的な技術であるが、熟練者同士ならば充分に観客を沸かすことのできるテクニックである。右腕、左腕、めまぐるしく攻め手が変わり、くるくるとまるでダンスのような攻防が続く。
次第に関節の取り合いはグラウンドに移行する。腕、肩に加え、首、腰、股関節、膝、足首と極める箇所だけでなく、攻めのバリエーションも前後左右、上下と格段に増える。技術やセンスのない選手では、5分としないうちに攻め手、返し手を失うが、この二人に関してはその心配はない。新人時代、元オリンピック代表候補である六角葉月の関節技を直接叩き込まれてきたのだ。メインとしては使用しないものの、グラウンドテクニックにおいても二人は一流である。
闇夜のリングに二つの肢体が絡み合う。言葉はない。荒い息だけを響かせ、互いの肉体、道程を確かめるかのように相手の身体を求めてゆく。
プロレスの教本足りうるグラウンドの攻防も、理沙子と今日子にとってはウォーミングアップに過ぎない。
今日子は理沙子から離れると、自らロープに飛び、反動を利用してドロップキックを打ち込む。ひるんだ隙にもう一発。さらにネックブリーカーを浴びせようと右腕を伸ばす。
だが、理沙子はその腕に自分の腕を巻きつけると、今度はアームホイップで投げ飛ばす。起き上がり様にもう一回。
今度は、二人の得意とする技の攻防となった。
今日子が直線的なスピードと高さを武器とした飛び技で名を上げれば、理沙子はしなやかな肉体のバネを生かした投げ技で存在感を見せつける。
今日子のローリングソバット、フェイスクラッシャーが理沙子を貫けば、理沙子はフロントスープレックス、ブレーンバスターで今日子にダメージを与える。
頂点を目指し、タッグベルトを手にするまでのサクセスストーリーを見ているかのような二人の攻防は、次の物語へとページを進める。
ロープに飛んだ今日子が理沙子にエルボーを叩き込む。すると後退したままロープに飛んでジャンピングニードロップをお返しにぶつける。
いつまでも続くと思われた理沙子と今日子の蜜月は、理沙子のアジアヘビー王座奪取の後、今日子の離反という形で終わりを迎える。
ミサイルキック、フライングニールキックと今日子の技の激しさが増す。理沙子もバックドロップ、裏投げと危険度の高い技で応える。
理沙子のアジアヘビーに、今日子は幾度となく挑戦した。だが、一度も勝利することができず、ついには姿をくらます。
この時から、理沙子と今日子。いや、二人に関わるすべての運命の歯車が動き出したのだ。
雄たけびとともに今日子がジャンプ一番、理沙子の頭を太ももで挟む。瞬間身を起こすと、一気にバック転の体勢に移る。
打倒理沙子のために編み出し、失踪後さらに磨きをかけてメキシコで頂点を掴むまでに至った、ブレード上原の必殺技フランケンシュタイナーだ!
脳天から叩きつけられる理沙子。二人分の体重、何年もの思いを乗せた一撃。通常ならこれで勝負は決まるはずだ。
だが、理沙子は立ち上がる。ダメージを感じさせない素早い動きで今日子をホールドすると、かつて前王者ドラゴン藤子を破壊し、5年もの絶対王座を守り続けたパンサー理沙子の必殺技、キャプチュードを炸裂させる!
何度この技で辛酸を舐めさせられたことか。それでも、今日子は全身に走るダメージも構わずに身を起こす。
長い、長い戦いの果てに体力は限界を超えている。
再度、今日子は全盛期と変わらぬスピードと高さで、フランケンシュタイナーを決める。が、理沙子も美しいブリッジを保ったまま、鮮やかにキャプチュードを見舞う。
力尽き、同時にダウン。二人は仰向けに倒れたまま息を整える。
今日子が突然いなくなって、私は結局何もできずにいた。
チャンピオンであること、新女のトップであることを言い訳にして、自分に嘘をつき続けてきた。
その結果、吉原さんをはじめとして多くの人を傷つけてきた。
私は罪深い女だ。
それなのに、
今、こうして、今日子が目の前にいてくれることが、
今日子と肌を合わせることが、
うれしくて仕方がない!
どうにか身体を動かし、立ち上がる。同様に今日子も立ち上がっていた。
手を伸ばし、ロックアップ。いや、もはや肩に手を乗せているだけだ。膝にも力が入らず、互いにもたれ掛かるように膝をつく。肩に置かれた手は滑り落ちるように腰に回り、二人とも身動きひとつできない。ただ、お互いの体温と、汗の香りを懐かしむように感じあっていた。
「…こんな簡単なことだったんだ……。」
ようやく今日子が口を開いた。
「こうして手を伸ばしさえすれば、つかまえることができたのに…。」
抱きしめる手に力が入る。
「何で手を離してしまったんだろう…。」
今日子の吐息が首筋をくすぐる。
「私も…会いたかった…ずっと…。」
もう我慢などする必要はない。
「ううん、会いに行けばよかった…。すべてを捨ててでも…。」
「ごめん、理沙子。私が馬鹿だった…。」
「いいの。こうして会うことができた。それだけで…いいの。」
すれ違いが生んだ佐久間理沙子と上原今日子の、長い旅の物語はここに終点を迎えようとしている。
いつしか、リングの回りには、吉原、斉藤、小鳥遊、朝日奈、大高、それに服沢たちが、二人の運命の結末を見届けるべく集まっていた。
星明りに照らされて、理沙子と今日子は瞳を合わせる。
「理沙子…。」
「今日子…。」
「愛してる…。」
「愛してます…。」
(「レレレお昼の劇場「女豹の蜜」 完)