男はとある女子プロレス団体のコーチを勤めていた。コーチングの能力はもちろんのこと、用心棒としての腕も買われてのことだ。ライバル団体からの妨害やストーカー紛いの悪質なファンから選手を守るためである。
あるシリーズの前日、刺客が送られて来るとの情報が男の耳に入った。狙いは団体のエース選手。
なるほど、男には思い当たる節があった。
今年に入って団体のエースとなったその選手は、己の功名心のためだけに他団体の選手を何人も潰してきた。コーチである男も暴虐を諌めようと努力はしたが、天狗になった彼女は言うことを聞かない。
自業自得。男は思ったが、一応団体のエース様だ。守らざるをえない。やれやれと男は用心棒としての仕事を請け負うこととなった。
刺客といっても本当の殺し屋ではない。フリーのレスラーが小遣い稼ぎに行っているのがほとんどである。手口は因縁をつけてケンカに持ち込むか、スパーリングにかこつけて相手を潰す。本番の試合中に『仕事』をこなせる刺客はまずいない。したがって、得体の知れない輩に近づけなければOKである。
今回のシリーズには、フリーの選手が三人参加している。男は注意深く三人の動きを観察するが、実力は中堅かそれ以下、性格も温厚でケンカを売るタイプではない。少なくともウチのエースに仕掛けられるほどの技量は持ち合わせていないようだ。
しかし、能ある鷹は爪を隠す。試合以外では団体の選手と距離を置かせ、合同スパーも行わせないように隔離し続けた。
何事もなく日程を消化し、シリーズ最終日のメインイベント。エースを含めた団体の三人とフリー三選手との六人タッグ。仮に刺客が紛れ込んでいたとしても、リングの上なら逃げも隠れもできない。いざとなれば自分が乱入して食い止めるまでだ。気を抜かず、男はリング下で試合を見つめる。
エースの狙いは、フリー選手の中でも一番格下である赤毛の選手であった。
この赤毛の選手は、愛嬌のある笑顔を売りに健闘していたものの、シリーズ通して白星供給係となっていた。男の記憶にも選手としての印象はほとんどない。
エースは赤毛の選手を潰してさらに自分の名を上げるつもりなのだろう。フリーの選手ならば、少々手荒なことをしても金で解決できるからだ。気分は悪いが、これも仕事だ。男は渋々、エースの動きを追う。
試合開始15分を過ぎ、乱戦状態のリング上にはエースと赤毛の二人が残された。集中攻撃を受けた赤毛はすでにグロッキー状態である。エースがフィニッシュの雄たけびを上げ、ロープに振る。帰ってきた赤毛を必殺のラリアートで葬るつもりだ。
見事、中央でラリアートは炸裂。赤毛は宙に舞い、仰向けにダウンする。エースが右腕を気にするそぶりを見せたが、何事もなかったようにカバーに入る。まともに入りすぎて、相手のあごがヒジに当たったか。男も特に気にすることはなかった。
カウントスリーが告げられ、お約束どおりエースの勝利が決まる。赤毛から離れ、起き上がろうとエースが両腕をついたその時である。
声もなくエースの体が崩れ落ちた。慌てて男がリングに上がり、状態を確認する。
エースの右の肩、ヒジが完全に外されている。ようやく痛みが脳に届いたか、涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにしてエースが泣き叫ぶ。
いつの間に?試合を見た限り、相手選手が彼女に『仕掛け』た動きなどなかったはずだ。男は眉をひそめる。
パニック状態のリング。ようやく男が気付いた。
赤毛の選手がいない!
残りの二人のフリー選手を含め、リングには選手、関係者が集まっている。だが、一番のダメージを受け、フォール負けした赤毛の選手だけがこの場から消えているのだ。
やられた!男はリングを降り、駆け出した。
手口は分からないものの、間違いなくあの女がエースの右腕を壊した。あれだけの故障では、復帰は当分先になるし、元のパワーも戻らないだろう。刺客は『仕事』を成功させたのだ。悔しさに奥歯をきしませながら、男は赤毛を捜す。
控え室にもトイレにもいない。ついに会場の外へと飛び出る。
「あら、察しがいいのね。見つかっちゃったわ。」
リングコスチュームのまま、赤毛は男に声を掛ける。道端で知り合いにでも合ったような、呑気な口調だ。
燃えるような赤い髪と対照的な氷の微笑み。月明かりをバックに立つ女の美しさに、男は仕事を忘れ、魅入ってしまう。
「…美しい…。」
「いきなりの口説き文句?悪い気はしないけど、無粋な方ね。」
思わず漏れた自分の声に、はっと我に返る。
「ウチのエースを潰したのはお前だな?」
「そうよ。技を受けながら少しずつ関節を緩め、最後のラリアートで仕上げ。いきなり外すとバレるから、フォールしたあと立ち上がる時に壊れるようにしたの。これならドサクサに紛れて逃げられるでしょ?…って、今日は失敗しちゃったけどね。」
「まったく、たいした腕だよ。俺の目でも『仕掛け』に気付かなかったからな。だが、もう逃げられないぞ。」
男は凄んでみせるが、相手は意に介さない。
「せっかくのお誘いは嬉しいけれど、あいにく今日はパーティドレスじゃないの。また次の機会にね。」
にっこり笑って投げキッスを送ると、女は夜の闇へと消えていく。
一対一で屋外に逃げられれば勝ち目はない。最後のハッタリも通用せず、男は肩をすくめた。
男の脳裏に女の笑顔が甦る。むしろ逃げられてほっとしている自分に気付き、苦笑いを浮かべる。
「捕まっちまったのは、俺の方かな…。」
男は女の名を呼ぶ。
「だけどな、今度はこっちが捕まえてやるぞ。ギルティ美鷹…。」
***
「この時、パパはママに一目ボレしちゃったんだって。」
「ロマンチックね、ママ。素敵だわ。」
「ママはね、この時パパと一緒になるなんて思ってもなかったわ。」
「そうなの?じゃあママはどうしてパパと結婚したの?」
「うふふ、それはね…。」
***