六角葉月VS南利美 3 ~南の世界~

 プロレス界に疎い南利美は、六角葉月を知らなかった。
 いや、かつてのオリンピック金メダル候補だったということはさすがに覚えていたが、新女に入団していたことなど、当時の彼女にとっては興味のない話だ。
 パンサー理沙子が呼び戻したアマレスの天才は確かに技術は高いものの、さしたる見せ場も作らず勝っても負けても淡々と試合をこなす、典型的な「仕事でやっている」プロレスラーにしか見えなかった。
「なんで、こんな人をわざわざ呼び戻したのかしら。」
 退屈なレスラー。六角に対する南の第一印象である。

 だが、そんな印象は一変する。
 ビューティ市ヶ谷とタッグを組み、初めて六角と直接対決に挑んだ南は彼女の実力に驚かされる。
 どれだけ技を繰り出しても受け流され、手ごたえがない。それでいて、観客の目から見ればそれなりの攻防として試合を作っている。
「舐められている!」
 頭に血が上り、真剣に壊そうと挑むものの、
「お姉さん疲れちゃったから、帰るわ。」
 逆にスープレックスで叩きつけられ、起きた時にはすでにコーナーに下がってしまった。
「これが、六角葉月の力…。」

 六角の底知れぬ実力を感じ取った南は、雑誌記者のツテを頼りに海外遠征時の試合のビデオを入手する。
 ビデオを見て、南は驚愕した。
 アメリカ遠征時の試合であろうか、相手のブロンドレスラーは試合開始からチェーンや椅子で六角を滅多打ちにしている。六角の額が割れ、流血で顔が赤く染まっている。
 明らかに六角を潰すためだけの試合であった。レフェリーは反則を止めようとせず、一方的な暴行が続く。
「こんな試合のビデオしかないの…?」
 眉をひそめる。と、ビデオの中の六角は、相手レスラーが振り下ろした椅子をドロップキックで迎撃し、腕をつかむ。
 瞬間、ブロンドレスラーの肘、肩関節が外される。
「…OH…」
 さらに、悲鳴を上げるヒマも与えず、あっという間に絞め落としてしまう。
 崩れ落ちる相手を見つめる六角の瞳に色はなく、その姿は冷酷な狩人のものであった。
 ビデオを見終えた南の全身に電気が走る。手の平は汗でにじみ、背中から腰には甘い痺れが消えることなく責め続ける。
「この人なら…。」
 体の火照りを感じつつ、ビデオを巻き戻す。
「この人なら…私の求める世界が見えるかもしれない。」

 ミミ吉原との一線は確かに過酷であった。
 プロレス入りしてから身につけたとはいえ、さすがに一流の格闘家。関節技の切れは南を苦しめた。
「ミミさんの関節技は一級品。必殺のドラゴンスリーパーを極められた時は何度タップしようと思ったことか…。」
 吉原の得意とする関節技は逆エビ固めやストレッチプラムなど、じっくり相手を痛めつける、いわば「見せる」関節技である。もっとも、無意味に耐えれば落とされるか壊されることに間違いはないのだが。
「だけど、耐える時間があるということは、脱出するチャンスがあるということ。」
 事実、南は吉原の技を耐え抜き、逆転する。
「それは、私の求める世界じゃない。私が見たいのはもっと熾烈で、一瞬の隙も許されない…」

 一瞬の判断ミス、操作ミスが致命傷になる。バイクで峠や高速を攻める瞬間が、求める世界に最も近い。だが、バイクでは彼女を満足させることはできなかった。
 確かに、バイクでのミスの代償は限りなく死に近い。リスクとしてはバイクのほうが上であろう。が、リターンとしては、ただ生き残ることだけである。実質、何もないのと同様だ。
 しかし、プロレス、いや彼女の求める戦いの先には勝利というリターンがある。己の技術、執念が相手を上回る。勝利という快感をより高めるには、さらなる危険が必要なのだ。

 今、繰りひろげられている六角との攻防。息をつく間も瞬きすら命取りになる、刹那の戦い。
 六角を挑発し、観客を無視してまで手に入れようとした戦い。
 おそらく会社は私を許さないだろう。いや、プロレス界にすら私の居場所はなくなるかもしれない。
「それでも…!」
 私は見たかった。全身がひりつくような、危険と快楽の入り混じった世界を!
「私の目に間違いはなかった。この人で、六角さんでよかった!」
 全力はすでに出している。それでも六角の底はまだ見えない。どれだけ攻めても次の瞬間、自分の関節が持っていかれそうになる。
「ならば…!」
 その先へアクセルを開くだけだ。すでに恐怖はない。ただ、快感だけが未知の世界への動力となっている。
「もっと…もっと…!」

「バカだ。」
 取り憑かれたように襲い掛かる南を相手に、六角は苦笑いを浮かべる。
「こいつもバカなんだ。」
 自分のバカ名簿に一人名前が増える。まったく、この世界はバカしかいないのか。
「バカの相手には慣れてるからな。とことん付き合ってやるよ!」 

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