お昼の劇場「女豹の蜜」第4回
愛することは狂気への扉を開くことなのか…。
(この物語はダイジェストでお送りします。)
***
「ごめんなさい、吉原さん。私は今日子がいないと駄目なの。」
理沙子が悲しそうに頭を下げる。その姿がどんどん遠ざかる。
「待って理沙子!上原はもういない!私が、私が側にいるから!」
吉原は必死に追いかけるが、一向に追いつかない。
「そうさ、理沙子は私のものだ。勘違いもいい加減にしておけ。」
突然、ブレード上原が理沙子の横に現れる。その胸に顔をうずめる理沙子。
「上原ぁっ!貴様っ!」
拳を振り上げる。と、目の前に今度はガルム小鳥遊が現れる。
「アンタは用済みなんだよ。ほら、足元を見てみな。」
目線を下に向ける。地面はなく、底の見えない暗闇だ。がくん、と吉原の体が闇に吸い込まれる。
「嫌だ、嫌だ!理沙子、理沙子、理沙子ォォ!」
叫ぶが、落下速度は上がるだけだ。
落ちる、落ちる、ひたすら落ちてゆく。どこまでも…。
「…っ!?」
カッと目を見開く。溺れかけたかのように、呼吸が荒い。体も恐怖にすくんでいる。
「…!?」
視線を横に向ける。そこには、
「…夢…か…。」
穏やかな寝顔の理沙子が隣にいる。いつもの光景だ。
「理沙子…。」
起こさぬように、静かに吉原は上体を起こす。夕立にでも遭ったかのように、全身汗まみれであった。
「シャワーでも浴びようかしら。」
何も着ていないのだから、着替えは必要ない。ベッドから出ようとするが、目が理沙子から離れない。
自分の腕の中で眠る理沙子。その姿が吉原にとって最も幸せなひとときであった。そして、
「…今日子…。今日子…。」
夢の中で上原を呼ぶ理沙子。その声を聞かされる瞬間こそが、吉原の最大の地獄でもあった。
「なぜ、なぜ私じゃないの…?私はこんなにも、あなたのことを…。」
あまりにも残酷な時間。理沙子と過ごす夜は、確実に吉原の神経を蝕んでいた。
そっと髪を撫でる。安心したように笑みを浮かべる理沙子。
「ふふっ、大好きよ今日子…。」
吉原は笑みを浮かべていた。自分ではない名前を呼ばれて笑っていた。
「そう、あなたに笑顔を与えられるのは私だけ。何を言おうと、理沙子の身体は私の手の中なのよ。上原も小鳥遊も関係ない。誰にも渡さない。理沙子の心だって、私のものなんだから…!」
いよいよ吉原の狂気は坂を転がり始め、加速していくのだった。
もはや狂気が表に出るのは簡単なことであった。
この日、吉原は理沙子とのタッグでデスハンターA・Bとの試合に挑んだ。
相手はヒールのタッグ。巧みな連係プレイで、理沙子に集中攻撃を仕掛ける。相手コーナーに捕まり、ローンバトルを強いられる理沙子。プロレスではよくある展開だ。
そう、序盤ヒールにいたぶられたベビーフェイスが反撃に転ずるありきたりな流れ。もちろん、理沙子も相手の隙に反撃し脱出…するはずだった。
「…くっ!」
凶器攻撃により、理沙子の目じりが切れた。出血は目立つがそれほど大きな傷ではない。ヒール相手ならいつものことだ。
が、それがスイッチだった。
「~~~~!」
怒声とともに吉原が突っ込む。封印した空手技をデスハンターに叩き込む!
「キサマら、よくも理沙子を!理沙子に傷を付けやがったなあ!」
デスハンターコンビはなすすべもなく、吉原の攻撃を浴び続ける。いつしか意識を失って倒れてしまうのだが、吉原は攻撃の手を緩めない。
「許さない!殺してやる!殺してやる!」
普段のミミ吉原からは到底想像できないセリフとともに、何度も蹴りつける。
「死ね!死ね!死ね!理沙子を傷つけるヤツラはみんな死んじまえぇえええ!!!」
いつから気を失っていたのか。理沙子が出血してリングに飛び出した。ここまでは覚えている。その後は…?
「…!……て!…めて!やめて!」
理沙子の声が聞こえる。やめてって何を?
背後から理沙子の温もりが伝わってくる。しがみついているのか、すごい力だ。
「…夫!大丈夫!私は大丈夫だから!もうやめて吉原さん!」
あまりにも必死な理沙子の声に、意識を取り戻す。
そうだ、今試合中だったんだ。そんなときに意識を失うなんてどうかしている。
「………。」
目に飛び込んだ光景に、私は声もなかった。
対戦相手のデスハンターAとBはどこから出血したのか(覆面なので分からない)、血まみれで倒れている。それに、レフェリーや若手のコたちもうめき声を上げて転がっている。
「ごめんなさい、吉原さん…。私が悪いの…。ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…。」
理沙子は壊れたカセットデッキのように、謝罪の言葉を繰り返す。
なぜ、泣いているんですか?どうして謝るんですか?やめてください、やめてください、私はただ、
幸い重傷者は出ず、デスハンターA・Bも骨折は免れたものの、今シリーズの欠場を余儀なくされた。
ミミ吉原は暴走ファイトのペナルティとして、残りのシリーズの謹慎を言い渡された。
メンバーはすべて巡業に出掛け、一人寮に残される吉原。虚ろに無人のベッドを見つめる。
「ごめんなさい、ごめんなさい…。」
理沙子の泣き声がいつまでも耳にこびりついて離れない。
「どうして…私じゃ…だめなんですか…。」
吉原の問いに答えるものはいない。
「RRR…。」
内線のベルが鳴る。自分に客とのこと。マスコミはシャットアウトされているから、本当に私的な用事らしい。
玄関に出ると、ショートカットの凛とした女性が立っていた。見覚えはあるが思い出せない。彼女が自分への客のようだ。
「突然の訪問、申し訳ありません。私は斉藤彰子といいます。」
ああ、と吉原は思い出す。
「現女子空手王者…の斉藤さんね。」
斉藤は静かにうなずく。
「はい、吉原さん抜きで王者を語るのはおこがましい話ですが。」
「で、私に用事というのは?」
斉藤は少し眉をひそめ、事務室に視線を移す。なるほどとうなずく吉原。
「こんな所で立ち話もなんだし、場所を変えましょう。」
受付に頼みこみ、道向かいの公園へと斉藤を連れ出す。幸い公園は広く、人目に付かない場所を探すのは簡単なことであった。
「斉藤さん、殺気が消しきれていないわよ。」
「消すつもりはありませんから。」
「どういうつもり?私を倒して本当の王者を名乗るつもりかしら?」
「今のあなたを倒しても自慢になりません。」
斉藤の言葉に吉原の神経がざらつく。こいつも小鳥遊と同じようなことを…。
「吉原さん。あなたは私の目標であり、憧れででした。だからプロレスラーに敗れてプロレス界に転向した時はショックでした。」
話を続ける斉藤。
「でも、憧れのあなたが選んだ道ならばと、私はずっと吉原さんを応援し続けてきました。あえて空手を封印し、新しい道を究めんとする姿に心を打たれました。」
斉藤の言葉に熱が帯びる。
「しかし、今のあなたは何です?嫉妬に狂い、空手をただの凶器に貶めるなど、とんだ堕落!」
「黙れ!」
吉原の表情が険しくなる。狂気のスイッチが入ったようだ。
「お前に何が分かる!嫉妬だと?私のこの何年もの想いがただの嫉妬だって言いたいの?ふざけないで!」
「分かります!」
負けずに斉藤が叫ぶ。
「あなたのことをずっと見続けてきました。パンサー理沙子との試合。その後のプロレスラー、ミミ吉原の活躍を。」
斉藤の言葉が魔法のように吉原の狂気を縛り付ける。
「あなたの言う何年もの間、私はあなたを想い続けてきた。だから分かるんです。あなたのパンサー理沙子への想いが。そして、あなたがどう想われているかも。」
「やめて!」
吉原の叫びは悲鳴に近かった。
狂気と言うベールで、あえて見ぬ振りをしてきた真実。それを暴かれるわけにはいかない。
「気付いているはずです!パンサー理沙子はあなたにブレード上原を重ねているだけだと!」
何かが砕け散る音が聞こえた。
「…分かってる。そんなこと、最初から分かっていたわよ!私なんかじゃ上原の代わりにも、それ以上の存在にもなれないって!でも…!」
ただの女に戻った吉原は泣き崩れる。
「それでも、代わりでもなんでも構わない。彼女の側にいたいの!彼女の温もりが、笑顔が欲しいのよ!」
ぐっと目を瞑り、首を振る斉藤。
「目を覚ましてください、吉原さん。」
すっと構える。
「私の空手で、本当の吉原さんを…私の吉原さんを取り戻してみせる!」
(つづく)