お昼の劇場「女豹の蜜」第5回

 お昼の劇場「女豹の蜜」第5回

 想いを乗せた拳は果たして届くのか?

(この物語はダイジェストでお送りします。)

***

「…むっ…。」
 斉藤が目を開く。と同時に全身に痛みが走る。
(そうだ、私は吉原さんと…。)
「気が付いたみたいね。」
 吉原が90度横の角度で覗き込む。なるほど、自分は気を失い介抱されていたのか。
「つぅッ…!」
 起き上がろうとするが、後頭部を激痛が襲う。吉原は斉藤を優しく寝かしつける。
「駄目よ、無理しちゃ。しばらく横になっていなさい。」
 吉原の口調は穏やかだ。先ほどまでの険しさは微塵も感じられない。
「ありがとう、斉藤さん。あなたの気持ち…ちゃんと届いたわ。」

 新旧空手王者の攻防は熾烈を極めた。斉藤の容赦ない打撃に対し、吉原も同じく打撃で譲らない。スピードと切れでは現王者に分があるものの、一撃の重さは旧王者が上を行く。
 一進一退の攻防も、次第に斉藤が優勢となる。スタミナの面では吉原が不利であった。
「これで決める。」
 斉藤の飛燕脚が吉原を襲う!だが、最後のハイキックをキャッチすると、そのまま足を抱え込んでのスープレックスで投げ捨てる!投げ技の受身を知らない斉藤は頭から落下し、気絶してしまったのだ。

「やっぱり強いですね。私なんか偉そうに啖呵を切っておいて、この有様ですから。」
「いいえ、斉藤さんは強かった。空手で勝てそうにないから、最後はプロレス技を使ったのだもの。」
(確かに、空手家の身体ではないな。)
 もぞもぞと頭の位置を整えながら、うっすらと脂肪の乗った太股の柔らかさを感じていた。
「あの時の理沙子さんも同じ気持ちだったのかな…。」
 在りし日の戦いに想いを馳せる吉原。その瞳に曇りはない。

「私は空手に飽きていたの。」
 斉藤の頭を撫でながら吉原は話し始める。
「空手に敵のいなくなった私は、格闘技最強を名乗るプロレス、しかも国内最強と言われるパンサー理沙子に喧嘩を売ったわ。」
 黙って斉藤は耳を傾ける。
「理沙子さんとの戦いはとても新鮮だった。先の見えないギリギリの攻防。試合は負けたけど、さっぱりした気分だった。だから空手を捨ててプロレス入りしたことにも何の未練もなかった。だって、あの興奮がもっと味わえるかと思うと楽しくて仕方がなかったもの。」
 吉原の言葉に熱がこもる。
「それは理沙子さんも同じだったみたい。お互いリングで新鮮な興奮を味わった者同士、通じるものがあった。そして私は彼女に特別な想いを持つようになったの。」
 少しの間。
「理沙子さんはブレード上原を失った悲しみを私で埋めようとしていた。私はそれで彼女が笑顔になるなら構わないと思っていた。でもね、どんなに頑張っても私はその場しのぎの代用品でしかなかった。私の想いは届くことなく、少しも満たされることはなかった。」
 息が乱れ始める。
「いつからなんだろう。私は彼女のすべてが欲しくなっていた。身体も心も全部、吉原泉で染め上げてしまいたいと願うようになっていた。だから上原が帰国したときも、あらゆる手段を使って理沙子さんに会わせなかった。気が付いたら、どんな汚いことでも平気でやれる女になっていた。」
 悲しげに斉藤を見つめる。
「私は悪い女よ。自分の欲望のために愛したヒトでも悲しませてしまう、悪い女。あなたに憧れてもらえるような人間じゃない…。」
「吉原さんは悪くない!」
 今まで黙っていた斉藤が突然叫ぶ。
「吉原さんは悪くない、ただ間違っただけです。」
 斉藤の言い分に吉原の目が点になる。
「ただ、まっすぐに自分の想いを貫いてきただけなんです。それが、少し道を外してしまっただけです。自分に正直に生きる。私の憧れる吉原さんは何も変わっていません!」
 何というバカな理屈だろう。でも、吉原にはこの上ない救いの言葉であった。
「…まっすぐなのはあなたの方よ、斉藤さん。あなたの空手もそう。ただ、まっすぐに素直な拳。私の黒い心を吹き飛ばしてくれたわ。」
 にっこりと微笑む吉原。
「ありがとう、斉藤さん。あなたのおかげで悪い夢から目が覚めた気分よ。」
 春の陽だまりのような吉原の笑顔。世の男性ファンを虜にしてきた吉原の笑みが眼前にある。斉藤の頬が紅潮する。

「吉原さんの笑顔…素敵です。空手時代には見たことのない笑顔です…。」
「そうね。理沙子さん…あのヒトからもらったものだから…。」
 笑顔のまま、吉原の頬を涙が伝う。
「本当に理沙子さんの笑顔が見たいから、私あきらめるね…。」
 必死で笑顔を崩すまいとこらえる吉原。その頬を斉藤の右手が撫でる。
「いいんです、泣いて。辛いときは泣いていいんです。私が側にいますから、だから。」
 もう、堪えることなどできなかった。長年積み重ねてきた感情が涙となって零れ落ちる。
「あきらめる…。あきらめたくないよ…。でも、でも、理沙子さんのためだもの…。好きなのに、あきらめる…。変だよ、そんなの…。好きだから、あきらめる…イヤ、イヤだよ本当は…でも、でもぉ…。」
 自分でも何を言ってるのか分からない。だが、もう止めることなどできなかった。
「本当に好きだったの!愛していたのよぉぉ!ううぅっ!わああああああああああ!!」
 斉藤は暖かく見守っていた。子供のように泣きじゃくる吉原も、斉藤にとっては愛おしい姿に変わりなかった。
「いいんです、無理をしなくても。これからは私がついていますから。あなたのすべてを、私は愛してます…。」

「あー。何と言ったらいいか。みっともないところ見せちゃったね。」
 事務所へ向かいながら、吉原は頭を掻いた。
「いいえ、私の方こそ突然押しかけたうえに、ケンカまで売ってしまいまして。」
 お互い、妙にかしこまってしまっている。
「そんなことないわ。斉藤さんのおかげで今とってもスッキリした気分なの。ありがとう。」
「吉原さんの力になれたのなら、私も嬉しいです…。」
「うーん、泉でいいわよ。私も彰子って呼ぶから。」
「あ、彰子ぉ!?って、は、はい!い、泉さん…。」
 真っ赤になってうつむく斉藤を、吉原は意地悪く覗き込む。
「ところで彰子、さっき何か言ってなかった?」
「…っ!な、何も言ってませんよ!」
 よく考えたら、とんでもないことを口走っていた。斉藤は目をそらす。
「本当に~?」
「本当です。…吉…いや、泉さん。まだ、意地悪なままですよ…。」
「だって、これも私だもの。…すべてを愛してくれるんでしょ?」
「~~~!」
 ぼふっ!斉藤の頭から湯気が上る。
「聞いていたんじゃないですか~!」
「あ、やっぱり言ってたんだ。」
「泉さん~!」

 女豹をめぐる因果の鎖が一本、ここに消えることになる…。

(つづく)

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