お昼の劇場「女豹の蜜」第9回
雨のち晴れ、
のち…
嵐。
(この物語はダイジェストでお送りします。)
***
ガルム小鳥遊の来襲から一夜明け、空は快晴。上原今日子も同じく清々しい気分であった。
「まずは、動こう…。今までだってそうしてきたじゃないか。」
決意を固める上原。
その背後に、大高はるみが駆け寄る。
「う、上原さん!大変です!こ、これ…。」
息を切らせて、スポーツ新聞を手渡す。慌てふためく大高の表情に苦笑いを浮かべながら、上原は視線を一面に移す。
「…っ!」
上原の息が止まる。暗転する世界。
「…嘘…だろ…?」
見出しを飾る言葉は…
「パンサー理沙子、結婚!」
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パンサー理沙子こと佐久間理沙子は、ポジションをフロントへと移しつつあった。運営、編成等デスクワークは慣れない理沙子にとって苦労の連続ではあるが、かえって新鮮な毎日であった。
レスラーとしての理沙子は、本拠地での大きな興行で6人タッグの一人として立つぐらいで、セミリタイア状態となっている。
戦いから離れた日々ではあるが、新しい生活が充実しているのか、以前のような体の疼きもなく、健全な生活と言えよう。
吉原泉との関係も、乱闘事件を境に解消していた。吉原からの申し出を、理沙子は快く受け入れた。元々自分せいで吉原を狂わせてしまったのだ。現在吉原は、自分を追ってプロレス入りした後輩の斉藤彰子の面倒を見ている。かつての穏やかな笑顔が戻った吉原に、理沙子は救われた気持ちになる。
自分がリングから離れているためか、ガルム小鳥遊も新女から遠ざかり、他団体で暴れている。
月日は淡々と流れる。
心と身体の炎は消えかかり、あの濃密な日々でさえも遠い思い出に変わろうとしている。
すべては若さゆえの過ち、幻であったのだろうか…。
「今日子…。」
応えるものなどいない部屋で、ひとり窓に向かい呼びかける。
その名前だけが、微かに心を震わせる…。
新女実況アナウンサー、ファウルチップ服沢と二人だけで打ち合わせることは珍しいことではなかった。場所もオフィスの一室であったり、近くのファミレス、深夜に及ぶ場合はスナックと様々である。
だが、この日ばかりは様子が違っていた。再開発によって最近建てられた高層ビルの屋上、高級レストランでの夜景を眺めながらの夕食。明らかに打ち合わせと言うよりもデートである。誘った本人である服沢は、終始落ち着きがなく仕事の話も耳に入っていないようだ。
微妙な空気の流れるなか、グラスワインを一気に飲み干すと、覚悟を決めたように服沢は姿勢を正す。
「り、理沙子さん…!と、突然ではありますが、私とけっ結婚を前提としたお付き合いをお願いします!」
何とか言い切ると、全力で頭を下げる。
やっぱり…。と理沙子の口元が緩む。服沢が自分に仕事仲間以上の感情を抱いていることは、薄々気付いていた。ぎこちないプロポーズの言葉も誠実な彼らしい。
理沙子は考える。服沢は勤務態度も真面目であり、努力家である。そして自分が知りうる限り優しい人柄だ。
この人なら私を幸せにしてくれる―。
自分でも驚くほど自然に、落ち着いた結論が出た。
「私こそ…よろしくお願いします。」
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服沢との交際を報じられたその日の朝、理沙子はマスコミの質問責めからようやく事務所へと逃れることができた。
「まったく、こんなオバさんなんかじゃなくて、若い子たちを取り上げてくれればいいのに。」
誰もいない専用の事務室で、微笑む理沙子。と、ノックと同時に扉が開く。
「理沙子さん…。この記事は本当ですか?」
「吉原さん…。あなたまで記者の真似事?」
「はぐらかさないでください!」
訪問者、吉原泉の目は真剣だ。まっすぐな所は以前と変わらない。
「…本当よ。」
すっと、理沙子は左手を上げる。薬指にはシルバーのリングが輝いている。
「そうですか…。服沢さんは優しく真面目な人ですし、理沙子さんが選んだのなら反対する理由はありません…。ただ…。」
吉原は拳を握り、うつむく。
「本当に…本当にいいんですか?」
「…何が?」
絞り出す吉原の言葉に、理沙子はわざと冷静に受け応える。
「私が言えた義理じゃないのは分かっています!でも、上原さんのことはいいんですか!?」
吉原は今もなお後悔していた。かつて嫉妬に狂い、理沙子と上原の仲を裂いた自分を。
「上原さんに私が余計なことをしなければ、理沙子さんと上原さんは今頃…!」
こらえきれずに吉原の頬を涙が伝う。理沙子は優しく吉原を抱きしめる。温もりが懐かしい。
「ごめんなさい、吉原さん。あなたにはつらい思いばかりさせてしまったわ。でもね、あなたは悪くない。それどころか、お礼を言い足りないくらいなの。」
「………。」
「ありがとう…。あなたが側にいてくれて本当に助けられた。ありがとう、吉原さん。」
「理沙子さん…、私こそ…。」
理沙子を抱く手に力が入る。が、
「はい、そこまでだ。」
突然、背後から引き剥がされる。
「あなたは…。」
振り返る吉原の目に巨漢のヒール、ガルム小鳥遊が映る。
「人様の婚約者に手を出すなんて不届きなヤツだ。ほら、さっさと出ていきな!」
「不届きなんて、ヒールのあなたに言われたくありません!」
暴れる吉原を小鳥遊が引きずる。部屋を出る直前、理沙子と視線が合う。
「小鳥遊さん、あなたにもお世話になったわね。」
「ハンっ、せいぜい幸せになるこったな!」
二人にはそれだけで充分だった。
「なあ、オマエさんがこれ以上、気に病む必要はないんだぜ?」
廊下の壁にもたれ掛かりながら、小鳥遊が声を掛ける。だが、吉原はうつむいたままだ。
「結局、悪いのは理沙子と上原の弱さなんだよ。」
「でも…!」
「上原が帰国して何年になると思う?本当に理沙子に会いたければ、オマエが何を言おうが、邪魔をしようが合うことはできたんだ。」
小鳥遊はさらに続ける。
「理沙子にしても、アイツが海外に逃げた後でも帰国した後でも、いくらでも捕まえることができた。」
「それは、二人とも立場があって…。」
「そんなモンを言い訳にしてる時点で、逃げてるんだよ二人とも。だから、オマエが何かやろうとやるまいと結果は一緒だったんだよ。」
ずるずると床にへたり込む吉原。
「はっきり言われると辛いんですけど…。私のしたことって、そんな程度だったのかなあ…。」
はあっと吉原のため息。
「そんな程度だよ。ただ、理沙子の支えになったことは間違いないんだ。少しは胸を張れ。」
吉原はじっと小鳥遊を見つめる。
「な、何だよ。」
「あなた、いい人なんですね。」
「バカ言うんじゃねえっ!」
しみじみと言われて、小鳥遊の頬が染まる。
「オマエがいつまでもウジウジしてると、こっちを睨んでるヤツがおっかなくてしょうがねえからな。」
小鳥遊が廊下の奥を指差すと、斉藤がものすごい形相でこちらの様子を伺っている。
「彰子!…もう、あの子ったら。」
すっと立ち上がる吉原。そこには笑顔が戻っている。
「ありがとう。お礼を言わせてもらうわ、小鳥遊さん。」
「ヒールに礼なんかいらねえよ。」
「…どうなるのかしら、あの二人。」
「さあな、決めるのはアイツらだ。もう、アタシらの出る幕はねえよ。」
「そうね…。せめて結末だけは見届けたいわね。」
「そうだな。ここまできたら、見届けるのが義務ってもんだ。」
(つづく)