寿千歌の刺客、大空みぎりを女王の貫禄で圧倒した市ヶ谷であったが、レフェリーの勝ち名乗りを拒否し、憮然とした表情で花道を引き上げる。
リングにはいまだ起き上がれずにいるみぎりと、介抱のため寄り添う千歌だけが残された。
人払いをし、誰もいない控え室。崩れ落ちるようにベンチに座り込む市ヶ谷。今までの余裕は消え失せ、苦悶の表情が浮かび上がる。と、扉を誰かがノックする。
「入るわよ。」
答えも待たずに、南利美が扉を開ける。
「ふっ…。あなたにしては、随分と優しいプロレスだったわね。」
控え室に入った南は、これ以上の邪魔は無用と扉の鍵を閉める。
「何のことかしら?」
南が現れるのを予期していたのか、市ヶ谷は責める風でもなく応える。
「ブレーンバスターは背中から落としてあげるし、最後のパワーボムもそう。わざと肩から落ちるように調整したでしょ。」
「当たり前ですわ。この市ヶ谷麗華、素人ごときに全力を出すなどという三流臭いマネはしませんわ。あなたと違って。」
市ヶ谷の目にいつもの自信が戻る。なるほどとうなずく南。
「確かに。私には無理ね、あんな闘い方。」
もしも自分とみぎりのカードが組まれていれば、完璧に破壊するつもりで挑んでいただろう。手加減などは自分の主義に反するし、素人同然とはいえ、あれだけのポテンシャルを持つ大空みぎりに対するには全力を出すしかあるまい。
ましてや、みぎりの攻撃をダウンや膝をつくことすらせずに、真っ向から受け止めるなどできるはずもない。
「まったく、傲慢なお嬢様だこと。」
市ヶ谷のうなじに手を添える。
「くっ!」
「その結果がこれじゃあね。完全に首を痛めてるわ。それに。」
そのまま鎖骨に指を滑らせる。
「痛ッ…!」
「折れてはいないと思うけど…、少しずれてるわね。」
おそらく痛みで腕が上がらないのであろう。勝ち名乗りを拒否したのもそのために違いあるまい。
「よくそんな状態で、最後に持ち上げたものね。」
再び首に手を回すと、ふんっと力を入れる。
「…っ!!」
激痛にさしもの市ヶ谷も声が出ない。かまわず、両の鎖骨に手を当てると再び力を入れる。
「……っっ!!」
再度、激痛が市ヶ谷を襲う。しかしそれも一瞬。あれだけ痛んだ首周りが楽になっている。
「礼を言いますわ、南さん。」
「あなたのトレーナーとして移籍したわけじゃないんだけどね。本当はテーピングもしておきたいけど、嫌でしょ?」
人前でダメージを受けた証を見せるはずなどない。南は市ヶ谷の気性を心得ていた。
「あなたにこれほどの手傷を負わせるなんて…。末恐ろしいコね、大空みぎり。」
しかし市ヶ谷は首を横に振る。
「それはどうかしら。」
「……?」
「あのデカい小娘は生まれ持った体格と怪力、それに空気を読まない図々しさが武器。あのような人間、滅多にお目にかかれませんわ。」
いや、目の前に一人心当たりが。と思ったが、あえて南は黙っておく。
「ああいう手合いに中途半端にテクニックやインサイドワークを教えたところで、かえってつまらないレスラーになるだけ。かといって、あのまま放って置いたところで、いずれ動きが読まれ、ただの見世物レスラーになるのがオチですわ。」
厳しいことを言っているが、みぎりを語る市ヶ谷の口調は楽しそうだ。
「あれだけのオモチャ、あの寿の小娘に扱いきれるかしら。ふふふ…。」
「何だかんだ言って、彼女のこと高く買っているのね。」
南は肩をすくめる。
「そうですわね。今日も彼女のおかげで、私の強さと美しさをさらにアピールすることができました。それだけでも、あのデカい小娘には価値がありました。」
すっかりいつもの調子に戻った市ヶ谷はふんぞり返る。
「せいぜい、私を光り輝かせる素材として無駄な努力を続けることですわ。オーッホッホッホ…ッツ!」
高笑いの体勢のまま、市ヶ谷の体が固まる。
「馬鹿!首を痛めてるのに、そんな笑い方するから!」
慌てて南は市ヶ谷の首を押さえる。
「まったく…あなたに関わると、飽きる暇もないわ。」
(つづく)